片野先生 最終講義「私と芸術工学-技術の普及(化)」
The last lecture of Prof. Katano
2009年2月21日
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重松先生の最終講義に続いて,片野先生の最終講義が行われました。重松先生の講義もかなりの人でしたが,片野先生になってさらに人が増え,525教室は満員。内容のパワーポイントが資料として配られましたので,概要と追加で書き込んだメモをここに残しておこうと思います。
最初は略歴から。片野先生の原点は東京の下町で,植物関係はまったくダメ(重松先生の講義を受けて)とか。東京理科大はできて3年目(工学部建築学科),大学院は東大生産技術研究所の池辺研のご出身。昭和46年5月に九州芸術工科大学へ赴任のため初めて飛行機に乗って九州に来られます。博多駅前にはまだ磯崎新氏設計の福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)はなく,路面電車で天神へ出たそうです。稲葉町商店街があり,ビルは岩田屋,天神ビル,福ビルくらいで非常に広々としていたようです。そこから「急行電車」(路面電車以外はみな急行と呼ばれていた)で大橋へ。もちろん地上駅(現在のダイキョウあたり)で大学は田んぼの中でした。
初代学長小池信二の熱き芸工への思い
小池先生はもともと美学がご専門。「芸術工学」はDesignの訳として用いられた言葉です。そして国立ミニ大学として,Instituteを「科」と訳し,芸術工科大学という名称が生まれたということです。当時考えられた「芸術工学」は,図案テクニックを超えた科学的なもの,でした。小池先生の説明の中には「技術の人間化」は登場しておらず,interdiciplinary(学際性)がよく使われていたとか。この「際」は垣根の意味であり,これを取り払うということです。
デザインについては,やはりBAU HAUSが原点と考えて良いようです。芸術工学の原点については,平成12年からあらためて大学に残っているはずの資料を探されました。その成果は「芸術工学研究」に発表されています。私も一部執筆を担当した,九州芸術工科大学35年史は片野先生を中心に編集されたものですが,表題の「源流より沃野へ」は編集に加わった画像設計学科の先生による命名だというのは初めて聞きました。芸工大が各地に広がったことをふまえて,また九州大学との統合を考える出発点にも,という意味が込められているそうです。また20周年記念事業のポスターが紹介されました。デザインは佐藤優先生ですが,下部の立面図スケッチが片野先生の手になるもの。
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片野先生は「環境設計学科」の先生と言ってよいと思いますが,「環境」のつく学科として,環境設計学科は2番目なのだそうです。1番は大阪大学工学部環境工学科で,昭和43年の4月から,芸工大の環境設計学科はやはり昭和43年ですが,6月から・・・。カリキュラムの変遷や大学院の変遷が紹介される中,芸工大卒業生で現准教授の朝廣先生の話題も。2講座で1学年が40人体制の時に担任されたそうです。
ずっと,構法・生産系の科目を担当されましたが,「建築構法原論」という教科書の執筆も思い出に残るそうです。初期の名物授業?であった試作プロジェクトはどうして終了したのか知らなかったのですが,片野先生が在外研究に行くと同時におやすみになってしまったらしい・・・難しいものです。
研究としては,建設技術の普及過程,とくに規格・組織・技術書などを対象とされてきましたが,なるほど古い規格というのはもう使われないものだから興味を持たれないものなのですね。イギリスのBSでは番号の再利用もあるのだとか。九州の近代建築について建設技術の調査とともに保存活用にも関われていますが,これは北九州市が主。なぜなら,福岡にはあまりない。芸工大赴任時に書かれたメモには「村松貞次郎先生をいかに超えるか」とあったそうです。ぼくはこんな風に考えたことはないですね,時代背景によるのでしょうか。
いくつか印象に残ったエピソードがありましたが,まず芸工大に内田祥哉先生が非常勤で来られていた,というのがなんだか不思議な感じでした。われわれはちょうど内田先生の退官直前ころに東京で授業を受けていたわけで。それから片野先生が在外研究でロンドンに行かれていた時がちょうどKings Cross駅で火事のあった時だというのも,結びついていませんでした。科研費による研究も紹介されましたが,後半の15年に集中しているのが目を引きました。ずっと以前に奨励研究がひとつあったようですが,その間は採択されなかったのだとすると,うまく採択されなくてもあまり悲観することはないのかもしれません。
最後のしめくくりは,「九州芸術工科大学」への感謝と「環境設計学科」の発展祈念でした。芸工大は今やなく,大学院重視で学部教育があまり評価されない現状に違和感を感じている者としては,なんだかうらやましいような気もしますが・・・
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