「大学の卒業を厳格化」
2007年9月10日
中教審小委 認定試験も提案
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中央教育審議会の小委員会が卒業要件の厳格化を政府と各大学に求める審議経過報告案をまとめるのだそうです。「このままでは学士という学位の水準が維持できない」と一致したというのですが・・・
報道されている全学部共通で身につけるべき能力の指針の具体策を見ると,現状がまったく把握されていないのでは?と気になります。
曰く
1) 日本語と特定の外国語を使って「読み」「書き」「聞き」「話す」ができるコミュニケーションスキル
2)情報や知識を複眼的,論理的に分析,表現できる論理的思考力
3)自己の良心と社会の規範やルールに従って行動できる倫理観
というのですが。学部卒業の時点で,こんな能力をちゃんと備えていた時代があったとすれば大昔なのではないでしょうか。もちろんどんなレベルかにもよりますが。
語学についていえば,私は学部を1986年に卒業していますが,日本語はともかく外国語について,コミュニケーションスキルを全員が身につけていたとは思えません。たいていの場合は,就職してから留学もしくは海外赴任前に研修や語学学校でなんとか必要な水準に到達した人が多いような。
いえ,これが指針になれば,学生は対応すると思いますよ。でも,それは学習時間の配分が変わるだけでしょう。専門的な能力を高めるのが目的ならば,母国語で修得するのがもっとも効率が良いわけで,語学をどのくらい重視するか,という意味での合意ができているのかどうかが気になります。
論理的思考力は目指すべきでしょうね。ただ,どの程度か。複眼的以前に,単純な知識の習得さえあやしい大学生はすでにたくさんいると思うんですが,どのように変革していくかが問題です。厳格にするのはかまわないと思います。大学卒業者が減るという形では実現できるでしょう。でも,社会全体の構成の中で多数が高水準大学卒レベルというのは無理だろうと思いますね。だって動機付けがありません。大学卒業者を減らさないなら,日本だけでは少子化ですから,大幅に外国人を受け入れる形以外にはないでしょう。この場合,必ずしも日本人が高水準大学卒レベルに多数入るとは思えませんが。別に大学卒だけが偉いわけでもないし・・・。
卒業認定試験も提案されているようですが,まず中学からやってほしいものです。中学は義務教育なんだから,最低到達水準があるはずですね。そこまではがんばるとして,次は高校。高校の卒業認定は,種類が複数あってよいですね。そのうち,大学に進学するための認定は上記の指針の高校版でどうでしょう。一定水準のコミュニケーション能力,幅広い知識と論理的思考力,そして倫理観。知識については,すでに大学のセンター試験があるので,これを入試でなく,卒業認定用に転用する。もちろん5教科全部,社会や理科も3科目ずつ,とか。
ちょっと脱線しますが,成人を何歳からにするかという議論がありますが,年齢だけで決めるのはなぜなんでしょう。卒業認定制度にすれば,中学を卒業して3年間ちゃんと働くか高校を卒業したら成人,でいいと思うんですね。中学を卒業できない時どうするかは考えなくてはいけませんが(何かで一人前になるということでいいと思います。その場合は25歳くらいまでかかるでしょうが)
共通する話題として,「法曹人口拡大のコスト」という論説委員のコラム(2007年9月10日朝日夕刊)がありました。司法修習生のうち,卒業試験に落ちる人数が増えたという話。母集団が同じで,合格者を増やせば最低ラインが下がるのはあたりまえです。で,「納税者の立場から気になることがある。・・・法曹人口拡大のためのコストと考えるしかないのだろうか」と結ばれているのですが,なんだか他人事ですね。これでは「納税者の立場」でなくて「消費者の立場」に見えます。納税者なら,自分のこととしてどうすればよいか考えなくては。法曹人口を増やすのに,全体の仕組みが追いついていないわけですから。
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