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記事雑感:教育に関する御手洗氏コメント

Mr. Mitarai's comment on education
2006年1月6日 日経新聞記事

いつもニュースや新聞記事についていろいろ考えるところがあると,食事の席などでは話題になりますが,昨年,大学院の授業でいくつか記事を持っていって話をしたら,おもしろかったという学生がいたので,ブログでも書いてみたいと思っていました。新年なので,ちょっとやってみようと思いますが,いつまで続きますやら。

さて,東京出張に向かう飛行機の中で,日経新聞を読みましたら,キヤノン社長で経団連会長になられた御手洗冨士夫氏のインタビュー記事がありました。その中で,教育について以下のように述べられています。

最後は人間だから人間を鍛えないといけない。教育問題は重要だ。時代によって求められる素養は変わるが,まずは勤勉を美徳として,自己犠牲で公に尽くすという日本人の精神文化や価値観を教育の場で取り戻してほしい

記事なので,カットされているかもしれませんし,問題提起としてだけ受け取るのが正しいのでしょう。しかし,これをまとめた記者は何を考えていたのでしょうか。これだけではなぞばかりが残ります。最初はいいとして,「求められる素養」以下は,目的を設定しないと定まりませんね。「勤勉」が美徳となるかどうかは,勤勉に何を行うか,またその結果何がもたらされるかによるわけですし,どのくらい勤勉かは相対的なものでしょうから,「まず勤勉」では,現状維持でよいのか,もっとがんばれということかもわかりません。現状による結果次第では「勤勉すぎる」ということもあり得る。「自己犠牲で公に尽くす」も同様ですね。

印象としては,いかにも表現が古いように思います。もちろん,この表現がしっくりする人に対してはそれでよいと思いますが,教育の大部分はずっと若い世代に対して行われるのでそのままでは何もできません。ただ,キーワードとしてはいずれも必要なものですね。「勤勉が美徳」とされたのはなぜか,誰にとってどんなメリットがあったのかを知り,考えれば将来どうすべきかを考える力がつくでしょう。「自己犠牲」の方は,直感的に自己犠牲と感じるものが,実は自分のためにもなっているのではないか?と自分に問いかけるところがスタートでしょう。自分のためだと確信できる方がはるかに強いのはスポーツの世界などでも明らかですね。また,どう考えても自分のためにならないものは,たいてい他者のためにもならないケースが多いとも言えます。自分のためになり,他者のためにもなるというようなことをバランスさせるのが公,といったらちょっとこじつけか。「最後は人間」と言っているわけですし。

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