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公開講座 「住まいの常識を問う」第2回

2005年11月09日(水)19:00~21:00
九州大学 大橋キャンパス5号館512教室

九州大学芸術工学部公開講座「住まいの常識を問う」第2回が行われました。
講師は環境計画部門の土居先生(建築史)。

s-051109-190213
FinePix F700 SuperEBC Fujinon 7.7mm(35mm equiv.)
ISO400 FL4200K

「あたりまえでない住宅」と題して,ひとりで住まう/みんなで住まうの両極端な住まい方のお話。ひとりで住まう形の例としては,Mies van der RoheのFansworth House,菊竹清訓のスカイハウス,塔状都市・海上都市,ピーター・クックのプラグイン・シティ,黒川紀章の中銀カプセルタワーが紹介されました。ひとりで住まうというのは,歴史的にはあたりまえではなく,20世紀的な極端と言うお話です。

続いては逆の「みんなで住まう」。みんなで住まうといっても今の集合住宅ではありません。中世のフランスに始まるお話。そのころはあたりまえだったかもしれないけれど,今からみるとちっともあたりまえではありません。たとえば,中世の版画に描かれた公衆浴場。もちろんみな裸ですが,テーブルもあって宴会を兼ねている。今とは常識が異なるようです。キーワードとして「多目的性」「雑居性」,雑居も男と女,大人と子供,主人と使用人が混在する雑居です。睡眠も個人的な行為でなく,他人同士でも男女も含め大きなベッドでみんなで寝るということもあったそう。他人に触れないというマナーで成り立つ世界。

フランスでも近代になると,今度はブルジョワ住宅のように反対方向の極端に振れていきます。家族の親密さが生まれたり,「子ども」という概念が誕生したり。親が愛情を感じて初めて「子ども」なのであって,そうでなければ単に小さい人間というだけだ,ということ。これって他の文化圏ではどうだったんでしょう。

一方,同じころに同じフランスで労働者階級は家族より共同性を求めていたらしく,まったく違うメンタリティ。人は環境でも作られる?不思議なものです。

最後にフランソワ・ダルグルの非=住宅プロジェクト(1965)。持ち運び可能な一室空間にハイテク機器。ちょっとした空間と情報があればいい?というもの。空間の形は縄文時代の竪穴住居にも似ている?そこに描かれている人はヒッピーのような風情で裸でサングラスをかけている。力の抜けた感じがなんとなくいい,というのが土居先生の評。住宅って何?と考えさせるプロジェクトです。

次回は11/16(水),講師は田上先生の他,建築家の大氏正嗣氏と谷口遵氏です。住宅建築の最新トピックが聞けるはず。

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